大相撲における最強の横綱を五人紹介する。
① 千代の富士
千代の富士は通称 ウルフ の名を持つ力士であり1980年代にかけて大活躍した横綱である。
とくに力士とは思えない筋肉質な体※体脂肪率約10パーセントを持ち味とした速攻型の相撲が人気を集めた。とにかくスピードの速い相撲に、当時の力士たちはなかなかついていけず、気づいたらその筋肉により土俵の外へ投げ飛ばされる、といったことがしばしば起きた。
その筋肉はボディビルダーからも高い評価を得ている。
千代の富士の取り組みの中で筆者が鮮烈な印象を受けているのが、この吊り落としである。今d内これ以上完璧に決まった決まり手は記憶にない。
そして、上手投げに定評がある力士で、ウルフの異名はこの強烈な上手投げからくるものである。ちなみにもともと人前で裸にならないといけないことが嫌いで、相撲ははじめ大嫌いだったという。
巧みな体使いで、技能賞を5回獲得している、当然ながらスタミナがある体系なので、長期戦になっても強いが、そもそも長期戦にすらならない※すぐに勝ってしまう。
昭和の大横綱ともいわれているが、下記の53連勝を止めたのは、最低の横綱と心無い言葉で非難されることもあった大乃国である。
また、尊敬する貴乃花からタバコを止めるように勧められ、50万のライターを隅田川に投げ捨てたことや、九州一のチンピラだった千代大海、千代大龍が、全く別物、と語っていることからも覇気が伝わる。
通算、幕内、横綱勝利数、横綱在位59場所、連勝記録53、優勝31回はすべて歴代三位。
そして1000勝を達成している、当時は前人未到とされ、節目の記録となった
ボクシングでいうならばマイクタイソンのような感じだろうか。
最強 という言葉が一番ふさわしいのはこの方だと、取り組みを見るとよく感じる
② 大鵬
こちらも昭和の大横綱と呼ばれている、昭和で最も有名な横綱の一人。
父がウクライナ人であり、ウクライナのDNAが入っている。イヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコが正式な出生名。だが、母親の再婚により日本名に変わった。
高度経済成長期にかけて活躍した力士であり、柏戸とともに柏鵬時代をけん引していき、のちの相撲ブームの礎を築いた力士である。
- 対横綱戦勝利:43勝(若乃花幹士 (初代)と並び歴代1位タイ、勝率も6割を超えている)
- 年間最多勝:6回(白鵬翔の10回、北の湖敏満の7回に次いで歴代3位。1960年 – 1964年の5年連続最多勝も白鵬翔の9年連続に次いで歴代2位タイ)
- 1960年(66勝24敗)、1961年(71勝19敗)、1962年(77勝13敗)、1963年(81勝9敗)、1964年(69勝11敗10休)、1967年(70勝6敗14休・柏戸と同数)
- 連続6場所勝利:84勝(1966年3月場所-1967年1月場所、1966年5月場所-1967年3月場所、1966年7月場所-1967年5月場所)
- 通算(幕内)連続勝ち越し記録:25場所(歴代10位タイ・1960年5月場所-1964年5月場所)
- 幕内連続2桁勝利記録:25場所(白鵬51場所・北の湖37場所に次いで歴代3位・1960年5月場所-1964年5月場所)
- 幕内連続12勝以上勝利:11場所(歴代5位・1962年7月場所-1964年3月場所
これらが大鵬の主要な記録である、横綱成績は8割五分と、千代の富士の8割台を大きく上回る。
連勝記録についても、45連勝のち、世紀の大誤審、と呼ばれる誤審により記録を止められており、その誤審がなければ再連勝記録になっていたとされているが、本人は自分がそういう相撲を取ったのが悪いと言い放ち、品格を保った、そこからも大鵬を愛する人が多い理由がわかる。
主な幕内力士で、負け越している力士は栃錦以外存在していない。
③貴乃花※光司
貴乃花光司は平成の大横綱の異名を持つ平成最強力士の一人で若貴時代を築き千代の富士ののちの相撲ブームを作った存在として知られる。
とくに有名なのは、初々しい朝青龍との試合であろう。初期の朝青龍は荒々しい性格とその強さから、態度が大きなものになっているという指摘を浴びていたというが、貴乃花がそんな朝青龍を横綱の意地とプライドをかけて、日本の底力を示した取り組みがこちら。
とても相撲動画とは思えない再生回数を誇っている。
最年少記録[編集]
- 幕下優勝:16歳9か月(1989年5月場所)
- 十両昇進:17歳2か月(1989年11月場所)[18]
- 幕内昇進:17歳8か月(1990年5月場所)[18]
- 幕内勝ち越し:18歳3か月(1990年11月場所)
- 中日勝ち越し:18歳7か月(1991年3月場所)
- 横綱初挑戦:18歳7か月(1991年3月場所)
- 三賞:18歳7か月(1991年3月場所)[6]
- 金星:18歳9か月(1991年5月場所)[6]
- 小結昇進:18歳10か月(1991年7月場所)
- 関脇昇進:19歳0か月(1991年9月場所)
- 幕内優勝:19歳5か月(1992年1月場所)[6]
- 年間最多勝:20歳3か月(1992年11月場所)
- 千秋楽結びの一番:20歳5か月(1993年1月場所)
- 大関昇進:20歳5か月(1993年3月場所)
- 優勝決定戦:20歳11か月(1993年7月場所)
- 全勝優勝:22歳1か月(1994年9月場所)
- 連続全勝優勝
貴乃花のすごさは最年少記録の数によく表れている、この記録からもわかる通り、キャリアのほとんどを横綱として過ごしている。相撲一家のDNAというやつだろうか。
スピードなどよりも、どっしりと構えた状態から力を加えていく、確実性の高い相撲を取る傾向がある。多くの挑戦者を受けているが、たいていは自分のペースに時間をかけて持っていくことが可能。
横綱成績は勝率813.
④双葉山
双葉山は昭和期の横綱でこの中では一番古い、大鵬よりも前の横綱である。その異名から強さが伝わる
不世出の横綱
相撲の神様
昭和の角聖
立浪三羽烏
無敵
双葉山は努力の天才として知られ、スポーツ界でも厳しいとされるトレーニングで弱音を吐いたことはなかったという、ぶつかり稽古でも筋トレでもすべて全力だった。
朝四時からけいこを始めていたことでも知られ、苦情がくることもあったという。
しかしそんな努力のたまものとして、伝説の記録69連勝がうまれた、相撲界で最も有名な記録といってよい。
この記録のすごいところは、今で言い換えれば一年間無敗+勝ち越し確定のところにある。本当に無敵だったというのだから、返す言葉が出ない。
あまり知られていないエピソードだが、この力士も上手投げが強く、とくに物理学者による分析でも最高の体使いと絶賛されている。
横綱成績:180勝24敗22休 勝率.882 横綱在位が少ないとはいえ、異常な記録である。
優勝12回[8](年2場所制での最多5場所連続全勝(年2場所制で最多)、関脇1場所、大関2場所は全て全勝で通過(明治以降唯一)、69連勝
これらは相撲界不滅の記録として語り継がれている。
「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」
⑤白鵬
現代力士で文句なしの最強。異議もあるが、記録が語りすぎているんだから仕方がない。当時テレビで見ていて、負けたシーンはなかなか見れないから、急いで録画するくらいだった。
絶対に負けないというイメージが自分の中で一番強いのはこの横綱だし、速さ、力、技術、どれをとっても完ぺきだったように思われる。唯一の負けて驚いた横綱。
時代が違うので比べることはできないが、私の中での最強はこの力士である。余計な説明を加えず、記録で語る
記録が多すぎるので、リンクを貼っておく。
どんな評価があろうと、これ以上の力士が現れるだろうか。
※記述した記録は引用wikipedia
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